<Morningstar The Long View インタビュー (前編)>
あなたは吝嗇家(りんしょくか)? それとも浪費家?
お金に対する性格はどう形成され、お金への姿勢は人間関係にどう影響するか
ゲスト: スコット・リック氏 ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネス 准教授
聴き手:
クリスティン・べンツ Morningstar パーソナル・ファイナンス/リタイアメント・プランニング・ディレクター
エイミー・アーノット Morningstar ポートフォリオ・ストラテジスト
今回のゲストはスコット・リック氏です。スコットさんは、ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネスでマーケティングの准教授を務めています。新著に『Tightwads and Spendthrifts: Navigating the Money Mindefield in Real Relationships』(St. Martin’sプレス)があります。2007年にカーネギー・メロン大学で行動意思決定研究の博士号を取得し、その後ウォートン大学でポスドク研究員として2年間を過ごしました。彼の研究は、消費者の金融意思決定の感情的な原因と結果を理解することに焦点を当てており、特に吝嗇家と浪費家の行動に関心があります。 ※本編ではスコット氏の新著について質問をしています。吝嗇と浪費などお金対する性格や姿勢に焦点を当てた画期的な研究に基づき、実際の生活や人間関係を改善するための様々な提案が回答されています。
※ 本稿はMorningstarによるスコット・リック氏へのインタビュー「The Long View」をモーニングスター・ジャパンが翻訳したものです。インタビューのヴィデオ(英語)はこちら(https://www.morningstar.com/personal-finance/scott-rick-are-you-tightwad-or-spendthrift )からご覧いただけます。
※ 本稿は情報提供のみを目的としており、特定の投資対象・投資資産などを推奨するものではありません。投資は個人の責任において行ってください。
クリスティン・ベンツ: スコットさん、こんにちは。「The Long View」インタビューへようこそ。私はクリスティン・ベンツ、モーニングスターのパーソナル・ファイナンスおよびリタイアメント・プランニング担当ディレクターです。
エイミー・アーノット: モーニングスターのポートフォリオ・ストラテジスト、エイミー・アーノットです。
スコット・リック氏(以下敬称略、リック): どうもありがとうございます。
ベンツ: 今日お話する機会をいただいて、とても嬉しいです。ご著書である『Tightwads and Spendthrifts: Navigating the Money Minefield in Real Relationships (吝嗇と浪費―リアルな人間関係でマネーの地雷を避けるには)』は非常に興味深いので。まず、経歴を少しお聞かせください。お金、人格、志向のこの分野でのあなたの研究は、あなたが「自分探し」と呼ぶものから始まったとおっしゃっていました。自分の人生に関係があるから勉強したいと思うことが、この分野にあったのですね。
リック: 私はお金と幸せに関して少し変わった育ち方をしたようです。私はヒューストンで育ちました。祖父母もそこに居り、町には彼らの孫が全員いました。それは幸せそうに見えましたが、やがて祖父母はそんな環境に飽きてしまい、悲しいことに、ラスベガスに引っ越して行きました。でも、そのおかげで私たちは夏休みになると一度に何週間も、それにひと夏に何度も、彼らを訪ねて滞在できました。
祖父母はフーバーダムに興味があったわけではなく、カジノやショーに行ってたくさんの刺激を受ける必要があったのです。やがて私もカジノでたむろするようになりました。今は有難くないことですが――私は年齢より大人に見えたおかげでカジノの警備員は私を厄介者扱いしないし、当時は楽しかったです。日々をカジノで過ごして私が目の当たりにしたのは、家族やその他の人々が「お金」を通じて得る幸せの追求に明け暮れる姿でした。そして、私はそこで人々が下すいくつかの疑わしい決断を見ることになりました。
幸いなことに我が家は行き過ぎることはありませんでしたが、私はお金のつかい方がルーズになったり、浪費に不安を感じにくくなったりしたと思います。心躍る日々でした。ところがヒューストンに戻って、よその家ではお金に関してこのように振る舞わず、私たちよりもはるかに堅実に見えることに気がつき、私はお金についてさらに興味を惹かれるようになったのです。
人々のお金に対する態度や取り扱い方はどう違うのだろうか、という関心です。こうした私の「自分探し」は、ずっと続いていて、結婚して子供と暮らすようになってからも、実生活から学んでいます。もし私が離婚について研究しているのを見たら、「実生活に問題があるとバレてしまうね」といつも周りには言っています。でも確かに、思い出や日常生活からたくさんのひらめきを得ています。
アーノット: あなたは、実施した調査や収集した人々のコメントなど、お金に対する人それぞれの見方を明らかにする非常に興味深い多くのストーリーや逸話も新著に記されていますね。吝嗇から浪費という両極端のお金に対する姿勢の間に、光のスペクトルのようにひと続きの濃淡があるとすると、私たちは誰もがそのどこかに位置するとあなたはおっしゃっています。なんと本の中には、自分がこのスペクトルのどこに位置するかが分かるクイズがあります。クリスティンも私も、問題を抱えていない中間の領域にいると思います。
ベンツ: 実に奇妙なことに、私は吝嗇家の領域に近かったのですがね。
アーノット: では、吝嗇家に対する2つの相反する特徴について、もう少し背景を教えていただけますか? 重要な特徴のひとつは、吝嗇家にとって支出は実際に少し苦痛を伴うものだということですが。
リック: はい。真の吝嗇家は、現在の収入、貯蓄、借金などの書類上での状況が、良い状態に見えるものです。皆さんは、彼らが自分の財政状態にかなり安心していると思うかもしれません。ところが多くの真の吝嗇家は、お金を使う時、特に自分で物を買う決断をして支出をするときに多くの苦痛と不安を感じるのです。そして、彼らは今お金を使うことで後々何を諦めることになるのか、この支出に対するいわゆる機会費用はいくらか、ということについてあれこれ考えるのです。この支出によって、自分で将来の自分を路頭に迷わせて凍えるような思いをさせることにならないかと心配するのです。そうなると、必要だと認識しているものや買うべきものを買い控えるようになります。それはしばしば彼らに不利益をもたらし、配偶者、子供、友人など、周囲の人々にさえまずい事態をもたらします。そうなったら、吝嗇家の後悔やフラストレーションの原因になる可能性があります。
その対極には浪費家がいます。私のような、もう少し刹那主義的な人間です。自分が新しい物にも飽きっぽいという自覚はあっても、お金を払って手に入れた物から得られる満足の方が重要なのです。それはまるで誰かがブレーキを切断した車のようなもので、歯止めが効かなくなるのです。吝嗇家は非常ブレーキをかけたまま走り回っていますが、私たち浪費家はブレーキが壊れた車です。私たちは後から後悔するようなものをいっぱい買ってしまうのです。両極端のケースでは、どちらもフラストレーションが溜まるわけです。
ベンツ: この本で探究していることのひとつは、吝嗇主義は他の人より強い自制心を持っているということのひとつの現れにすぎないのか、そして吝嗇家は食事や運動など、他の生活の分野でも強い自制心を示す傾向があるのかということです。あなたはどのような発見したのでしょうか、そして自制心についてどうお考えでしょうか?
リック: そうですね、それは非常にありそうなことだと思っていました。調査を始めた当初はそう思っていたのですが、強い関連はあまり見出せませんでした。吝嗇家がデンタルフロスをより頻繁に使ったり、会議に他の人より時間を守って現れたりするわけではありません。彼らが対極にいる人々よりもずっと良心的だと一般化することはできません。ですから吝嗇も、ある意味ではセルフ・コントロールの欠如だと思います。吝嗇家は、お金を使うリスクを冒さず安全に過ごしたいという衝動を抑えるために、支出に対して自分をコントロールする必要がありますが、多くの場合うまくいかないようです。そういう意味では、彼らは自制心が効いていないのだと思います。
アーノット: 両方の特徴が混ざった特性を持つ場合もあるのでしょうか? 私自身について考えると、少額の買い物についてはかなり浪費家だと思います。服や靴を買ったり、食事に出かけたりするのにお金を使うのは気になりません。しかし、高額商品となると、私は一気に躊躇するタイプになり、多額のお金を使うのは嫌だと思います。
リック: なるほど、だからあなたは葛藤のない中間部に入ったのでしょう。中間層でも吝嗇・浪費のいずれかの傾向がより強い人が大勢います。そして、それは単なる価格の高低レベルでの違いである可能性もあります。しかし、本物の吝嗇家に話を聞くと、彼らは他のすべてに加えて、本当に些細な金額の商品への出費にもむきになりますが、それらは明らかに必需品だと思われるものばかりです。彼らは、買うか買わないかを一見選べると思える場合には、決断するのに辛い思いをしがちなのです。
ベンツ: 吝嗇家と節約家は違うというわけですね。その違いについてもう少しお聞きしてもいいですか。
リック: そうですね、紙一重の差に見えますし、銀行口座や借金の残高を見ると、紙の上では彼らは非常によく似ていることが多いです。しかし、節約家は、できるだけ物品を再利用することを信条としており、お金を節約したり、お下がりのバギーを洗って再利用したりしますが、それを楽しんでいます。手間暇をかけるのはさぞ大変だろうと私には思えても、彼らは骨身を惜しまず信念をもってそれを楽しみ、そして幸せなのです。彼らは節約することが大好きなだけですし、それでいいのです。
しかし、吝嗇家の蓄財法はちょっと違って、それほど容易くはありません。彼らは、苦悩とストレスと後悔を重ねて、お金を貯めるのです。彼らは本当に支出を苦痛に感じています。お金を使うことは彼らにとってひたすら苦痛なのです。つまり、同じように銀行口座の残高を満足なものにするにも、さまざまな道があるわけです。
アーノット: 浪費家といえば、「“どうにでもなれ”効果(”what the hell” effect)」というものも指摘されています。それがどういうものか、もう少し詳しく教えていただけますか?
リック: それは食事とダイエットの研究中に発見されたものです。ダイエット中であるにもかかわらず何らかの理由で高カロリーのものを食べるように誘導された場合、人はその食品を非常に注意深く観察します。でも、おじいちゃん、おばあちゃんに「デザートを食べなさい。お願いだから。感謝祭なんだから」と言われて食べざるを得ない状況に追い込まれたら、その日はもう諦めるしかないと気づくのです。自分で決めたその日のカロリー上限を明らかに超えてしまいますが、『“どうにでもなれ”、今日は皆と楽しめばいいさ』というわけです。どうせ食べざるを得ないのだし、ダイエットは明日から再開すればいい。この考え方は人がお金を使う際にも使われがちで、多くの小売業者がそれを熟知しています。
例えば、子供と一緒に買い物をする人がたくさんいるとわかっている場合に、私がターゲット(大型小売店名)の立場なら、子供がおねだりして親の買い物かごに入れるように仕向けるために、ちょっとした商品をたくさん店舗の入り口付近に並べるでしょう。私はただ、その支出を促したいのです。顧客の財布の紐をゆるめれば、一度開いた財布は開いたままになりがちだからです。そうして、一度はずみがついたら、「カロリーにせよお金にせよ、どうせ制限を突破してしまったのなら、いっそ今日は楽しめばいい」という考えに至ってしまうのです。
アーノット: 私ときたら、ペーパータオルやいくつかの必需品を買うためにターゲットに出かけて、商品を持って店から出たとたんに「100ドル以上使ってしまった!」と、何度思ったことでしょう。
リック: ええ 私も、もっと重要度の低い商品について同様の経験があります。
アーノット: おっしゃる通りですね。
ベンツ: 先ほど、あなたはいつも少し浪費家であり、この本を書く過程で、支出の面で過ちを犯す可能性がさらに高まったとおっしゃっていました。この本に取り組み始めてから、支出に対する考え方がどう変化したかについて、もう少し詳しく教えていただけますか?
リック: 驚くべきことでしたが、同時に非常に現実的な変化でした。この本は、主にロックダウン中に書いたので、その経験も影響していると思います。また、私の3人の子供たちが急速に成長する時期にあったという文脈で書きました。そのうちの一人は、今はもう中学入学が間近に迫っており、私の理解を超えた存在になっています。人生の儚さと、時の流れの速さを痛感するばかりで、この本に書かれている、後で後悔する人がいるという話について考えているところです。
愛する人々との幸せや思い出、共に過ごす経験を重ねる日々や、そうした大切な機会を得ることに、いっそう素直になったと思います。決して羽目を外して浪費したのではなく、浪費気味の生活の裏では自動的にお金を貯める仕組みはちゃんと機能していて、そこに手をつけたりはしていません。ありがたいことに私は倹約家と結婚したので、助けられています。でも、そうですね、支出に対する考え方に変化がありました。ですが、あの本についての反響は人によって違うと想像できます。もっと節約したくなった人もいるでしょうが、私は、お金を使う傾向に拍車がかかりました。
アーノット: 今回の調査では、幅広い母集団サンプルの浪費家と吝嗇家を調査されましたね。どのような分布になるのでしょうか? また、データに人口統計学的な違いやその他の興味深い傾向はありましたか?
リック: 数多くの多様なサンプルをまとめることができるならば、大まかに言うと、おそらく25%の人が吝嗇家、25%が浪費家、50%が葛藤のない中間層に分類されるでしょう。人口統計学的な相関関係もいくつかあります。女性は男性よりもやや浪費家になりがちです。些細なことですが、日ごろ目にしていることです。吝嗇家は、浪費家よりも若干平均年齢が高いようです。もう一つの小さな違いは、吝嗇家は、大学の専攻でより数学に馴染みがある傾向があります。そう、彼らは世界を他の人より数字のレンズを通して見ています。こうした細かい関連はありますが、これらを明らかに示す膨大な人口統計学的指標はあまりありません。
ベンツ: こうした性質は生まれ持ったものなのか、それとも育った環境や経験によって身につくものなのか、どちらでしょうか。幼少期や思春期のお金に関する経験が、私たちの傾向を形作るのに影響しているような印象を受けます。この点を踏まえて、人々の経験がお金に対する性向のどこに着地するかにどのように影響するかについて、いくつかの例を話してくださいますか?
リック: 確かに両方について証拠はあると思います。もし、あなたが生まれつき考えを反芻する傾向があったり、少し神経質だったりするたなら、あなたはすでに吝嗇家寄りの脳を持っているかもしれません。しかし、経験、特に人格形成期における経験が影響するという説には、証拠がたくさんあります。吝嗇家の中には、かつてお金で苦労した時期がある人や、お金で人と争った、あるいは心労を抱えたことがあるように見える人が大勢います。そして、そのうちの何人かは、その後成功をおさめるなど、人生の後半でお金を手に入れて経済的に生活が改善されますが、その変化に迅速に適応はしません。困難な時期に自分を守るために身につけた支出に対する反応は、多くの人にとって、状況が改善しても拭い去ることができないものなのです。
繰り返しになりますが、人は誰かの紙上の財務状況を見て、とても安楽な暮らしに違いないと言うかもしれません。しかし、中には自分が体験した苦境を乗り越えることができない人もいます。私は『コレラの時代の愛』(ガブリエル・ガルシア=マルケス)という本の登場人物のセリフを思い出します。その人物は貧困の中で育ち、裕福な実業家になりますが、ある人に「あなたは金持ちだ」と言われると、彼は「いいや、私は金持ちじゃない。金を持っている貧乏人にすぎない」と返します。二つの違いは明らかです。彼は人間形成に影響した時期に作り上げられた考え方を払拭できなかったのです。
アーノット: 環境が変わっても人の核となるアイデンティティが決して変わらなかったというのは、興味深いことです。
リック: おっしゃる通りです。
アーノット: 私たちを方向づけるかもしれないお金以外の「経験」はありますか? もし人生の早い段階で大きなショックを受けたり、何か手酷い経験をしたりした場合、その人はリスクを嫌い、生活を色々な側面からコントロールしようとする傾向があるのでしょうか?
リック: すごくいい疑問ですね。ユニークなショック体験をした人を大勢集めるのはいつも難しいので、サンプルの規模を考えると私はその疑問に対する確固たる答えを持っていません。しかし、特にそれが人格形成期の体験であれば、(そういう傾向があることを知っても)たしかに私は驚かないでしょう。
ベンツ: 不確実性の中で支出をコントロールするための決断について、「黄褐色の靴を選ぶべきか、茶色の靴を選ぶべきか」といった、小額の支出についての選択を例に挙げてあなたがお話されているのを聞きました。そのような決断を下すことで、我々は自分が少しはコントロールできていると感じることができます。それについてお話しいただけますか? それはとても素晴らしい認識であり、支出の必要性を理解するための有効な方法だと思いました。
リック: はい。私自身の浪費家然としたふるまいや、人々が「セラピーになると思って買い物をする(リテール・セラピー)なんて馬鹿げている」「落ち込んだ気分を癒す手段が買い物だとは、まったく愚かなことだ」、などと言う世間の言に触発されました。しかし私は、自分の経験と研究を鑑みると、この「リテール・セラピー」というアイディアには実際に何か効果があるのではないかと思いました。
悲しいとき、人はしばしば、自分の運命を自分でどうすることもできない無力感に襲われます。私たちは、病気や外的な要因、天候、気候など、自然界のコントロールできないランダムな現象に翻弄されて生きています。また、選択権についての研究によると、自由な選択や楽しい選択をすることで、人は「自分がコントロールしている」という感覚を得ることができることがわかっています。そして、ショッピングは選択がすべてです。
あれとこれ、どっちが欲しいのか? 買いたいのか、買わないのか? 私たちは、買い物における単純な選択、安価な買い物や時には仮定の購買行動をとることで、人々が悲しい感情を乗り越えるスピードを速めることができるのではないかと考えて実験を行い、その通りの結果を得ました。そして、それは彼らが状況に対して、より強く「自分がコントロールしている」と感じられるからだったようです。あれではなく、これが欲しい――そう考えることには何かがあるのです。買い物をし過ぎて借金を抱え、再びコントロールを失うようなことはしたく無いでしょう。でも、ちょっとした買い物における選択は、実は悲しみを癒す助けになると思います。
アーノット: 興味深いお話です。この本のほとんどをパンデミックの時期に書いたとおっしゃっていました。
当時私が気づいたことのひとつは、私たちは皆、非常に慎重になろうと努め、長い間家にこもっていましたが、しばらくすると私は家から出る必要があると思い知ったことです。多くの人が数週間おきにホーム・デポ(住宅リフォーム材料などの小売りチェーン店)にでかけ、私も自分のために蘭を買いました。その結果私が痛感したのは、外に出て世界と関わり、家に何か美しいものを買うだけで、大いに気が晴れるのだということでした。こうした私の体験は、あなたが時々お金を使うことから得る高揚感の幾ばくかと同じかもしれないと私は想像します。
リック: ええ、もちろんです。選択ということに焦点を当てましたが、他にも多くの要素があります。あなたが家にその美しい蘭を持ち帰ったことで、家に目新しさが加わったように。買い物に出て新製品を目にすると、買うか買わないかは別としても、その製品について考えたり学んだりします。他者と行き会い、中には何か面白いことをしている子供もいるでしょう。販売員があなたに親切にしてくれるかもしれません。潜在的にショッピングには様々なメリットがあります。
ベンツ: 何かを購入する行為でエンドルフィンが急増する興奮状態になる、たとえばオンラインサイトでショッピング・カートにどんどん商品を入れ過ぎて、(決済限度額を超えてしまい)購入が完了しないかもしれない事態もあると聞いたことがありますが、こうした現象に対処するための簡単な方法はありますか? 実際、必ずしも経済的に大きなダメージを受けずに、人々が同様の高揚した気持ちになるのに役立つ手段はあるのでしょうか?
リック: そうですね、Amazonの欲しいものリストやPinterestのような、擬似的に選択する行為は代わりになりそうです。実際に所有するわけではありませんが、自分が望むものを選ぶという点では効果がありそうだと思います。
アーノット: 私たちの文化は、浪費と吝嗇という二つの価値の間の綱引きのようなものですが、あなたはどちらがより望ましいとお考えですか? ソーシャルメディア、特にInstagramなどを通じて浪費の文化が持てはやされていますね。同時に、楽しみを先にのばして倹約に励むことが美徳であるという見方も広く浸透していると思います。
リック: 彼らはそれぞれのやり方で良くやっています。インスタグラムでよく見かける浪費家は、吝嗇家より魅力的で興味深いことや、時には何やら不可解なことをして見せてくれます。浪費家と吝嗇家という2つの選択肢があって、もしもいっしょに遊び歩くのに誰か見知らぬ人を選ぶとしたらどっちが良いかと訊けば、人々は浪費家を選ぶかもしれません。しかし、もしも家計のお金の管理や、支払い能力を維持するのに誰を頼りにするかと訊けば、おそらく吝嗇家を選ぶでしょう。それは“何のために良いのか“という問題であって、世の中にはさまざまな種類の幸せがあります。
借金については、浪費癖のある行いのせいで負債を背負ったのだと人々は思い込みがちです。しかし実際は、不運や収入不足、医療費の負担などが借金の主因であることが多いと思います。買い物の習慣がなくても借金を抱えることはあるのです。生きていくための借金だ、ということもあり得ます。ですから、消費習慣が人々の想像力の中でどんな姿をしているのか、そして私たちがどんな価値観を持って見ているかに、とても興味があります。私にとっては、非常に見分けがつきにくい不確かなものに見えるのです。
ベンツ: この本では、吝嗇家が力を抜いて支出を楽しむ、あるいは少なくとも支出に際してストレスを少し減らすことについて、具体的な戦略を紹介されていますね。もし私が吝嗇家で、それが最適ではなく、自分の人生や愛する人の人生を損なう可能性があることを認識している場合、少しだけ気を楽にすることができるヒントをいくつかを教えていただけますか?
リック: 大事なのは、こうしたことを意識して自分の傾向を理解し、行動科学者が言うことを試し、自発的に心を楽にして過ごすことです。予算を立てるのは支出を抑制する方法だと思われがちですが、吝嗇家は予算を利用して逆に支出を緩めることができます。彼らはたとえ面白い物を見つけても、自分の判断に任せておけばその場ですぐに買うことを正当化できないと自覚しています。それを買う余裕があるのだと自分自身に納得させることができないのです。でも事前に予算を立て、いくらかのお金を楽しい選択に使うように割り当てておけば、実際に楽しい機会に遭遇したときに、立てた予算計画に従ってそれを手に入れることができます。あらかじめ少し先を見据えて行動することは効果があります。予算を立てることは、吝嗇家の財布の紐を緩めるのにも役立ちます。
お金が手元から出ていくことから注意をそらすために何ができるかも、挙げておきしょう。たとえば私と妻が家族旅行を計画しているとします。私は、予約は私が受け持つべきで、妻が知る必要のないこともあると思っています。それが叶わず、彼女が旅の中身を知ってしまうくらいなら、私は、食事のたびにいちいち支払わずに済む一括パッケージのプランやオプショナルな体験を追加する旅を選ぶでしょう。すべての費用が含まれたツアーです。自分の懐からお金が出ていくことから、注意をそらしたいのです。ですから「本日電話代が引き落とされました」といった通知もすべて切ってしまいましょう。こうしたことについてテキストをお送りしてもいいですよ。毎月同じことの繰り返しなのだから、報せは不要です。お金に対して余計な注意を払うことになるだけです。
アーノット: 浪費についてはどうでしょうか? 支出を少し減らそうとしている人に使える戦略はありますか?
リック: 浪費家を助けてくれる人は誰もいないので、吝嗇家より難しくなります。小売り業者は彼らを助けようとしませんから、浪費家はかなり自主的に行動する必要があります。浪費家がとるべき行動は、吝嗇家とは正反対です。自分の手元から出ていくお金にもっと注意深くなる必要があります。私は大学院に通っていた頃、お金がほとんどなかったときに、一時的に吝嗇家になるために自分自身を訓練しようと努め、実践したことがあります。支払いは可能な限り現金を使います。するとATMからお金を引き出すとき、そして店でお金を使うとき、その度に痛みを感じます。私は浪費のスピードを落とすための瘤(バンプ/ハンプ)のような心理的な障壁を全部利用して自ら速度を落とし、物事を考え直すように自分に仕向けました。
現金で払えないときはデビットカードで支払い、レシートを集めました。ひどくオタク的に見えたようでしばしば呆れられましたが、レシートを家に持ち帰り、支出をエクセルに記録しました。すでに私の銀行のウェブサイトに記録されているにしても、自分で書き出して、自分の目で支出を実感する必要があったのです。「ああ、コンビニで25ドルも使ったんだ」と思いながら書き出すわけです。私はこれらの心理的な障壁や摩擦をすべて利用して、支出の速度を落とし、考え直し、自分の人生からお金が消えていくことを本気で意識するようにしたのです。
でもこれは幸せのためのレシピではなく、むしろ生存戦略のようなもので困難な時期を乗り越えるためのレシピです。それは上手く機能しました。これぞ生きる道というわけでは決してありませんが、基本的な考え方だと言えます。また、浪費家も予算を立てることで恩恵を受けられます。例えば1週間といった短期の予算があると、「ああ、これを買ったら他のものは買えない」と考え易くなると検証されています。そうすれば、機会費用や後々何を諦めることになるかについて、突然考え始めるようになります。予算を立てることは浪費家にとっても良いことなのです。
ベンツ: 私は現金というものについてもっと知りたいと思いました。これはあくまでも個人的な経験ですが、ポケットに現金があるといつでも、どう使おうが自由なお金だと思ってしまうのです。どういうわけか私はすごく簡単に使ってしまいます。私の頭の中で、一体何が起きているのでしょうか?
リック: 時間的な要素があると思います。私は現金で支払うのであれば、その日の分だけ朝引き出して、その日のうちに使いたいと思います。あなたの話にはまったく同感ですが――あなたは財布の中に現金を眠らせていませんか?
ベンツ: わぁぁぁ、 図星です!
リック: お金はあるし使っていいんだ、と頭のねじが緩んだ状態ですね。私たちは大きな研究分野に挑んでいます。現金を使うのは苦痛を伴うものだという思い込みがありますが、常にそうとは限りません。手元に現金があるなら、何も考えずに使えると思います。
アーノット: ええ、「口座の残高は減らないから、現金で払うなら気にしなくていい」というのは「女子数学(Girl Math)」の謎理論のひとつです。
リック:言えてます。
ベンツ: 認めちゃダメですよ!いえ、すみません。
リック: いやいや、私は「女子数学」がお気に入りなんです。
(※次回、後編ではお金に対する態度が違うカップルがうまく折り合うためのアドバイスなどを話し合います)