日本市場には『世界一魅力的な<小さなポケット>』がある 前編

<Morningstar The Long View インタビュー(前編)>

長年のアジア株投資家が語る構造変化、新たな株主尊重、日本株への投資機会

今回のゲストはカール・ヴァインさんです。カールさんは、英国を拠点とする資産運用会社であるM&Gのアジアン・インベストメントの共同責任者です。


2019年にM&Gに入社、日本およびより広範なアジアの株式戦略の管理チームに所属されています。
M&G以前は、2014年に設立されたオックスフォードに拠点を置くブティック型投資会社Port Meadow Capital Managementの共同設立者でした。

また、香港SAC Capital Advisors、TPG-Axon Capital、ロンドンと東京のPrudentialでも勤務されました。オックスフォード大学ご卒業です。

 

ゲスト:

カール・ヴァイン氏 M&G  アジア投資共同責任者

聴き手:

クリスティン・べンツ Morningstarパーソナル・ファイナンス/リタイアメント・プランニング・ディレクタ-
ダン・レフコヴィッツ Morningstarインデックス ストラテジスト

※ 本稿はMorningstarによるカール・ヴァイン氏へのインタビュー「The Long View」をモーニングスター・ジャパンが翻訳したものです。インタビューのヴィデオ(英語)はこちら(Carl Vine: The Japan Earnings Story Has Legs | Morningstar )からご覧いただけます。

※ 本稿は情報提供のみを目的としており、特定の投資対象・投資資産などを推奨するものではありません。投資は個人の責任において行ってください。

レフコヴィッツ: カールさん、「The Long Viewインタビュー」へようこそ。

さて、M&Gのチームから、日本についてお話いただくならあなたが最適 だと伺いました。昨年2023年の日本の株式市場は明らかな活況を示しました。Morningstar日本株式指数は2024年は今のところさらに力強い上昇を見せています。あなたの戦略に多くの資金が流入していますね。

 

ポッドキャストのゲストからも日本に対する強気の意見が多くありました。そこで、この上昇相場を歴史的な観点からお話いただけないかと思います。長年のご経験から、この上昇相場は日本の株式市場でこれまで見てこられた中で最高のものですか?

 

カール・ヴァイン氏(以下敬称略、ヴァイン):私はこれまでのキャリアを通じて、株価が好調な時期を何度か見てきましたが、日本市場については1997年から関わってきました。私たちは何度か強気相場サイクルを経験していますが、今回の上昇相場が今までと異なる点は、ファンダメンタルズによっても、収益によっても非常に上手く説明することができることだと思います。過去25年間を振り返ってみると、今までの好景気は景気循環的な要素で盛り上がったものでしたが、今回は(良好なファンダメンタルズや実際の収益が支える)より実態のある株高であると言えるでしょう。

 

今実際に起きていることは、日本には非常に強力で長期にわたる可能性のある構造的な収益ストーリーがあるという世界的な認識だと思います。そう、たぶん過去の強気のエピソードよりもこれには本質が伴っている。ですから、日本で見られるこの収益増加を促進する変化は上手くいくでしょう。今回はおそらく私たちが見てきた中で最高の機会だと思います。

 

べンツ:それらのテーマのいくつかをぜひ掘り下げたいのですが、その前に、あなたがそもそもどのようにして日本への投資を始められたのか興味があります。1980年代、日本は世界を制覇しつつありましたが、あなたがキャリアをスタートされた1990年代、国際株式運用者にとっては日本株をアンダーウェイトするのが常識でした。ですので、日本に焦点を当てたキャリア選択を当時することには明白な理由がないように思えますが。どのようにお考えだったのかをお聞かせください。

 

ヴァイン:いや、まったくその通りです。私はある意味「はまって」しまったのです。

投資一般に関して、私はキャリア選択においてかなり焦点を絞っていました。大学時代を思い返すと、最初の週、フレッシャーズウィークと呼ばれる時期に皆が外に出かけて楽しむところ、私は週の半分を就職指導室で過ごしました。その結果、大学での時間は私が前進し、キャリアでの成功を築くのに本当に役立つと確信しました。

 

私は人生で何をしたいのかを考えるのに多くの時間を費やし、最終的にそこでキャリアに関する資料のほぼすべてを読み、可能性のあるキャリアパスを2つに絞り込みました。一つはコンサルティングや戦略コンサルティング、もう一つは投資です。結局、就活の時期になって、コンサルティングの面接にはまったく呼ばれず、投資では面接をたくさん受けました。

 

そして、幸運なことにPrudentialの新卒採用制度に参加する機会を獲得しました。それが始まりです。私は多様性に富んだキャリアを望んでいたので、最初から投資という分野に絞って考えていました。人生で色々な事に関心がありますが、投資は世界経済を幅広く見ることで多様な知見を得る機会が与えられる稀有な試みの一つだと思います。

 

正直に言うと、日本に関してはちょっとした偶然でした。大学時代、アーサー・ストックウィン教授やデビッド・アッシャー氏のような日本の政治や経済の優れた学者の下で学べたことをとても光栄に思います。そこから、政治経済に関して日本への興味が掻き立てられました。

 

でも、まさか日本の投資に携わることになるとは思いもしませんでした。1997年にシティ(ロンドン金融街)に来て初めて、実のところほとんど偶然のような出来事によって私は日本の株式市場に導かれました。つまり、日本に関して言えば、はまったようなものです。でもその後すっかり気に入ってしまって、もう振り返ることはありません。1997年から日本に投資していますが、興味は尽きません。

 

レフコヴィッツ:そもそも、何がきっかけで夢中になったのか聞いてもいいですか?なぜ日本市場への投資に惹きつけられたのですか?

 

ヴァイン:思い出せるかどうか。年齢を重ねて、そういうことは忘れてしまいます。

思い返せば、私は常にシステムに魅了されてきました。株式市場は複雑で適応性のあるシステムであるが故に、私にとって興味深いのです。大学では、政治理論、経済理論、経済の様々なモデルにとても興味がありました。

 

そして明らかに、冒頭でベンツさんが言われたように、日本には特定のモデルがあって、80年代後半までは非常にうまく機能していたのに、その後機能しなくなってしまったのです。ですから、知的な問いとして、世界にこのような巨大な経済があって、それがまったく異なる方法で物事を進め、しばらくの間は非常にうまく機能していたのに、その後機能が停止したということはとても興味深いことです。

 

私にとって、物事をどのように異なる方法で行うことができるのか、そしてそこからどんな異なる結果が得られるのかという、実に魅惑的なケーススタディでした。そして現に、過去10年間に企業部門で実際に何が起こっているのかを理解するのに、歴史的背景についての知識は非常に役立ったと思います。それについてはまた後ほど。私にとって日本の真の魅力は政治経済、民主主義の様々なモデル、経済の様々なモデルにあったと思います。

 

レフコヴィッツ:日本がバブル崩壊から立ち直るのに30年以上かかったのはなぜだと思われますか?

 

ヴァイン:とても良い質問ですね。そしておそらく、それに対する答えを論じた博士論文も幾つかあるでしょう。正直なところ、日本は変わりたくなかったのだと思います。人々はとても幸せでした。

 

興味深いのは、たとえば経済のピーク時かその後の15年間のどこかの時点で、株式市場や株価を海外から見ていると、日本中の人々はかなり落ち込んでいるに違いないという印象を受けるでしょう。しかし実際には、日本に住んで働いていれば、経済は完全に機能していました。住むのに素晴らしく、まだとても活気のある場所でした。物事は非常に長い間うまく機能していて、バランスシートへのストレスがあまりにもなかったので、日本の企業や政治家は見て見ぬふりをすることもできたのだと思います。

 

日本を取り巻く世界が変化してから、やっと反応して遅まきながら取り組み始めたのです。この種の発展状態、第二次世界大戦後のトップダウン主導の経済モデルは、非常に長い間とてもうまくいっていましたが、世界貿易の時代になった後は機能しなくなりました――実際にそれに対処しなくても、しばらくの間は慣性で進む可能性があるでしょうが。2011年から2012年頃まで、実際日本は首をすくめていたのです――そして安倍総理が登場し、「皆さん、私たちには問題があります」と言ったのです。

 

「このまま惰性で進んでいくと、50年後には破綻してしまうでしょう。借金の問題や人口動態の問題もあり、ずるずると落ちこみつつあります。日本は競争力を失ってしまいました。経済における資源の配分方法を変える必要があります。もはや政府主導で進めることはできません。新たな仕組みが必要です。そして私の提案は、資源が経済のどこに投入されるべきかを示す方法として経済合理性を活用するというものです」と言いました。

 

当時、この大音声の呼びかけに人々は沸き立ちました。しかし、もちろん経済の資源配分方法を変えることは大きな課題です。一朝一夕で実現するわけではありません。ジム・コリンズがいうところの「フライ・ホイール効果」が実際に急速に動く現状に日本が到達するまでに、随分長い年月がかかかりました。現在、経済の仕組みは過去数十年間の方法とは根本的に異なります。これは株式の保有者にも利益にとっても有利な変化です。

 

べンツ:日銀はつい最近2024年3月に、17年ぶりに利上げを実施しました。それは良い兆候のように思えます。一方で今年になって、日本が2023年の第4四半期に景気後退に入り、ドイツに抜かれて経済大国第3位から第4位に後退したというニュースもありました。これらの一見関連のなさそうなデータをどのように解釈すればよいでしょう。

 

ヴァイン:日本の四半期GDP数値には多少の変動があります。日本の成長状況について、私の考えをお話しましょう。日本は経済の高度成長期を終えてずいぶん経ちます。そして、今後10年ほどの日本株に対する私の楽観的な見方は、GDPの大幅な回復を前提としているわけではありません。重要なのはGDPに対する利益の分配であり、生産性の向上です。

 

私は今後数年間に日本のGDPが大幅に伸びるとは期待していません。GDPデフレーターがマイナスからおそらく若干プラスになることで、名目GDPはおそらく過去10年よりも若干良くなると予想しています。

 

金利面では、おっしゃる通りです。今週だけで20ベーシスポイント上昇しました。これは日本が実験的な金融政策をどれだけ長く続けてきたか、そして、現在は正常化への道筋をたどっているという点で非常に重要です。更なる正常化に向かうのは良いことだと思います。

 

ただ、これは経済における価格環境の変化を反映しているに過ぎず、企業にとっては本当に頭の痛い問題でしょう。そして、ここは強調しておきたいのですが――欧米の経済、年間2%か3%の値上げを自然にできるインフレのある世界で事業を展開している企業を例に取り上げて、そこでの状況を25年間製品価格を上げていない日本と比較して想像してみてください。

 

25年間昇給ナシの世界です。インフレの追い風なしに利益成長を果たすことは非常に難しい。経済にインフレという刺激がなかったことを踏まえると、ある意味、日本企業は過去15~20年で素晴らしい仕事をしてきたと言えるのです。現在、ついに(金利上昇という)外部からの刺激がわずかながらも生じつつあることは、楽観はできませんが、GDPの上昇にとっては良い影響を与えるでしょう。そしてもちろん、あくまで名目利益ですが、ポジティブな要素です。

 

ただし、私は日本経済には依然として構造的な問題が存在すると思います――大げさに言いたくないのですが――経済には確かに構造的な逆風が吹いています。構造的な問題に過度に気を取られるべきではありませんが、足を引っ張る要因はあります。それでも、日本株式という資産クラスを保有したいと考えるときに、日本の実質GDPについて構造的に非常に強気である必要はありません。

 

レフコヴィッツ:あなたが思われる構造的な問題のいくつかをもう少しお伺いします。まず、円について。円安は本当に劇的な状況です。長年、100円近辺でしたが、今は1ドル150円台です。その結果、為替ヘッジなしの外国人投資家にとって日本株から得られる利益の大部分が相殺されてしまいました。あなたは、投資の計算式に円安をどう織り込まれますか?

 

ヴァイン:素晴らしい質問ですね。ここでご留意いただきたいのですが、私は何かを予測するのがあまり得意ではないし、もちろん通貨に関しても同じです。今、日本円がどちらかというと安いような気がしますが、これは従来の為替レートの尺度を基準にするものです。しかし、ご存知のとおり、実際のスポット為替レートは、実質実効為替レートが示唆する値と近似性がほとんどないことがよくあります。

 

過去10年間、日本株市場の円換算トータルリターンは素晴らしいものでした。S&P500指数の値動きにも見劣りせず、しっかり月次リターンを比較すると実際にS&P500をアウトパフォームしている月もあります。しかし、米ドルベースでは、通貨安のせいで、明らかにそこには程遠い結果です。

 

思うのですが――そして私はおそらく間違っていて、単に十分に賢くなく、すべてを理解するための膨大な言語モデルが頭の中にないのかもしれませんが――でも、単純に物事を見ているだけで、実際には円は2022年初頭にはすでに勢いが弱まり始めていたように見えます。その頃何が起こっていたかといえば、日本と西側諸国の間の金利差が大幅に拡大していました。

 

もう1つ、十分に注目されていないと思われる出来事があります。正直少し奇妙ですが、2022年の第1四半期に注目すると、インフレ率が世界中で上昇しているのがわかります。日本の上昇率はまだ小幅で西側諸国ほどではありません。そして、日銀は金利を目標水準――イールドカーブの局面によってゼロかゼロを僅かに下回る水準――に固定する方針を維持し、欧米の金利は上限に挑戦し始めました。

 

22年に入って初めて1月だったと思いますが、日銀が前面に出て無制限の入札を実行しました。想像してみてください、指し値で国債を無制限に買い入れると言っているのです。「私たちを試さないで。指し値オペで反撃しますよ」と言っているようなものでしょう。欧米の金利が上限を試そうとしていた2022年を通じて、日銀はそれを十数回繰り返しました。

 

こうして円安になったのです。歴史上の他の多くの時点で、もし中央銀行が同じことをしていれば、通貨は無価値になっていただろうと仰るかもしれませんね。日銀はかなり劇的な手段に打って出たものです。

 

為替相場の変動を、国債の買い入れという点で通貨に対してかなり過激に取り組んだ日銀の動きと、言うまでも無く内外の金利差と、おそらく――おそらく誰にも真相は分からないでしょうが――後付けで合理化された株式市場の動きとが影響し合った結果だと説明するのは、常に少し奇妙な試みです。しかし、それが結局は円安の大きな要因となったことは間違いないと思います。

 

かくして今日に至るわけですが、おそらく――これもまた不確実なことですが――西側諸国が利下げに向かうのも近そうで、そして今ようやく日本で若干の金利上昇となりました。確かなことは分かりませんが、もしかしたら緩和の始まりかもしれない。

 

運用者としては、どうにかして私のポートフォリオをこうした予測不可能な変動に影響されないようにしたいと考えています。それが私の仕事ですし――それが顧客の要望だからです。私の顧客は日本株のリスクプレミアムへのエクスポージャーを望んでいます。リスクヘッジしている顧客もいればそうでない顧客もいます。それぞれの判断です。

 

私にはそれについての考えがあるので、よろしければお話しましょう。顧客は日本株のリスクプレミアムを保有したいと考えています。彼らは日本の市場には非効率な部分があり、その一部を我々が取り込めば市場に勝つことができると信じています。

 

ここで私がしたくないのは、円コールを活用する私の能力のみが奏功してポートフォリオのパフォーマンスが指数を上回るということです。私には為替変動を予想する能力はほぼないと思います。半年後に120円になっても驚かないし、率直に言って180円だとしても驚きません。だからこそ、為替差益に頼らないポートフォリオを構築したいのです。そうすれば、ベンチマークに対する通貨エクスポージャーに関して中立的なポートフォリオとなります。それが理に適っていればですが。

 

べンツ:適っていますよ。そして、ヘッジありなしを問わず、人々が日本への投資に乗り出すことについてどのように考えるべきか、ご意見があると仰ってましたね。顧客が求めている投資には多様なリスクがあることを理解した上で、より良い方法についてどのようにお考えですか?日本への投資について考える場合の良い枠組みは何でしょうか?

 

ヴァイン:完全な戦略を作るために為替ヘッジありとなしを半々で持つとしましょう。実に難しいことで、正解を得るのは至難の業です。日本経済について、上場企業レベルで生じている生産性の向上を指摘されると、つくづく難しさを感じます。

 

日本の競争力と経済の構造的健全性に対する主要な重要業績評価指標(KPI)の多くにおける構造的な修復を見てみましょう。このような向上や改善という事実に、実質実効為替レートという独立した全く別の尺度の物差しを当てて勘案してみると、「通貨が安すぎる」と思えるでしょう。したがって、エキサイティングな株式市場を買い、為替が思惑通りに動けば、通常は複数年にわたって非常にうまくいきます。そういう意味で、「ヘッジなしでいい」と言う人もいるでしょう。

 

そうしたら私は、今度は謙虚になって、「そうだね、でも株式市場にはとても良いストーリーがあるよ」と言いたくなります。たとえヘッジに多少のコストを支払ったとしても、10年にわたって非常に優れたリターン、ヘッジされたリターンが生み出されます。

 

それでは、ヘッジありにしますか?私なら多分、実際には中間のどこかをとって、一部はヘッジし、一部はヘッジしないでおくと思います。ということで、少し答えになっていませんが、実際に私ならそうするでしょう。ただし、もちろん顧客固有の制約条件によって対応は異なります。

 

レフコヴィッツ:さて、デフレ/インフレの話に戻ります。私は、春闘が日本のインフレを促進する重要な要素として挙げられているのを見てきました。春闘とは何か、そしてなぜ重要なのか説明していただけますか?

 

ヴァイン:基本的に春闘では労働組合が集まり、様々な業界内で翌年度の基本給の賃上げをどれくらい要求するかを掲げます。組合は自分たちの要求する数字を提示し、その後6カ月間企業との交渉が続きますが、その出発点が春闘です。2024年の第1次集計では5.3%程度、5%強だったと思います。昨年は、私の記憶では4%台前半だったと思います。

 

実情を見てみましょう。日本ではここ数十年は賃上げ無し。そう、私は日本に来て26、27年間、年間数百社と話をしてきて、文字通り20年間も昇給がない企業の人々を見てきました。だから、この2年間で経済全体の賃金が3%、4%、5%と上昇していくことがどれほど大きな変化であるかは、どんなに誇張してもしすぎることはありません。この数字は平均で、上場セクターの優良企業の中には10%、15%の賃上げを実施している企業もあります。これは非常に大きな変化で、本当に重要な意味があると思います。

 

私は、日本には本当に素晴らしい収益ストーリーが存在すると思うと言っている人間です。「では、人件費が天井知らずに高騰している時に、どうやって収益を伸ばすのか?」と尋ねる人もいるでしょう。それはすべて、日本全体の構造的な変化と結びついていると思います。何が起こっているかというと、企業に対して政府主導の新たな取り組みが行われているのです。

値上げを敢行して収益の一部をより高い賃金の支払いに充てようということです。

 

また、これも欧米では信じがたい話ですが、政府と中央銀行が賃金・物価の上昇スパイラルを促進しようとしているのです。まさに欧米諸国で阻止しようとしていることを国ぐるみで促しているのです。でも、日本ではそれが本当に必要なのです。どの程度までを望むかは慎重に――制御不能になってしまったら、私たちは皆、胎児のように丸まって親指をしゃぶりながら、そもそも奨励しなければよかったのにと悔やむことになるでしょうから。でも、そんな状況には程遠いと思います。

 

そして、ここ数年の日本の政策決定環境は、率直に言ってやや現実的になってきたと思います。現実的というのは、つまり、本当にあらゆることを試し尽くしたという意味です。日銀には大層賢い人たちが大勢いて、本当に色々なことを試してきました。数十年間、本気で実験的に取り組んできました。最近はそれほどではないですが、私は以前は日銀を常にウォッチしていました。そこで気づいたのは、私たちが置かれていたアニマルスピリッツ(野心的な意欲)が欠落したディスインフレの圧力に対する日銀の姿勢の変化です。様々なエレガントな数学理論による解釈から、やや現実的で日常的なものへと時間の経過とともに移行しました。

 

20年間給料が上がらないと、人々は消費意欲を失います。これを打破することがここ数年の岸田首相の経済計画の大きな部分を占めています。首相はインフレ対策として新たな試みを投入しました。従来通り株式やREIT、債券の超テクニカルな買い入れプログラムを導入し、金融システムを複雑にする代わりに、ただ賃金上昇を促進して何が起こるか、経済にアニマルスピリッツを取り戻せるかどうか、見てみようと言ったのです。

 

さて、どうなったでしょう?奏功しました。完全にうまくいったのです。日銀の調査データでは、企業は現在かつてなく値上げに積極的で、消費者もこれまで以上にそれを受け入れています――妥当な範囲で。大幅な値上げの話ではないですよ。でも、経済の価格設定の仕組みをめぐる心理的な行き詰まりが打破されたような感じがします。

 

欧米で訓練を受けたアナリストとして日本の現状を説明すると、財務モデルで重要となるのは価格設定の仕組みです。企業はどうやって価格を決定するのでしょう。日本で長年、私は企業にインタビューするとき、製品価格をどのように決めていますか?と質問してきました。すると彼らはぼんやりと私を見返して「はて、何の話ですか?1987年に価格を設定して、そのままになっているので」と答えました。

 

またもや信じられませんが、本当の話です。そして、日本でも他国でも、インフレに関する理論を雄弁に語ることはできません。実際にインフレ理論が一国の経済に本当に役立ってきたのかわかりません。ただ、変化の現場から私が言えるのは、もはや日本にもぼんやりと見返してくる人はいないということです。永年この仕事をしてきましたが、初めて、企業が他社と差別化を図るためのアルゴリズムを価格設定プロセスに組み入れたと言うのです。実際に、フォーチュン500企業ならどこでもみかける「チーフ価格ストラテジスト」を、日本企業も雇おうとしています。

 

つまり、企業における価格に対する考え方が完全に変わってきたのです。今、賃金が若干上昇し、消費者もやや値上げに寛容になっています。前述の通りどの程度を望むかには注意が必要ですが、結局は名目利益をもたらすでしょう。株式資産クラスにとって、ディスインフレから緩やかなインフレ環境への移行は非常に良いことだと思います。

 

べンツ:日本の投資に関する政策についてお伺いします。東京証券取引所は、株主利益の向上を目指して資本配分の改善を本格的に推進してきました。東証は株価純資産倍率(PBR)に重点を置いています。その取り組み全体と、それがどの程度大きな要素であるかについてお聞かせください。

 

ヴァイン:この1年半に見てきた日本の巻き返し策の非常に重要な側面だと思うポイントをよくぞ聞いてくれました。日本の失地回復への奮闘は、2022年12月下旬に日銀がついに、いいですか、金利の変更を検討するかもしれないと言い出した頃に始まったように感じます。もちろん、そこから15カ月かかりましたが、当時は予想外ではあったものの、インフレ(の無い世界)との長期的な戦いに勝利する可能性が出てきました。そして明らかに23年初頭からウォーレン・バフェットは日本への投資について、より積極的に発言するようになりました。

 

しかし、それとほぼ同時期に、東証トップの山道裕己(やまじ ひろみ)氏が登場して実施したことは、ハッキリ言ってある意味世界的にかなり異例のことです。取引所のトップが前面に立ち、たまたま私の好みの指標ではないですが、とにかくPBR、このPBRが1未満の企業はすべて――というのがその時点で株式市場の約半数の企業ですが――改善策の提出・開示の必要があると公言しました。

 

ここでは私はちょっと乱暴に言い換えていますが、彼が言ったのはおよそそのようなことです。東証に書面で、PBRの低さについてどう改善していくつもりかを教えてほしいと。そして彼のメッセージは、その後テレビやラジオのインタビュー、ポッドキャストなどを通じてよりニュアンスがついて伝えられたのですが、東証に上場し続けるか否かの決断を企業に迫るものでした。「東証に上場し続けたいのなら、自社の資本コストを理解すべきです。どの程度であるべきか、少なくとも資本コストを稼ぐためには何をする必要があるのか、その両方について洗いなおして対策を講じるべきです」と、東証に対して改善策の提出を要求しました。

 

後日その情報を公開し、さらに1年後(それは今(※インタビュー時点)から約7週間前ですが)には、まだ改善策を提出していない企業名をリストとして公表するつもりだと言ったのです。これは「恥」を利用した動機付けです。東証は企業に1年の猶予を与え、それでも実行できない場合は、「私は企業名を公表するつもりである(恥をさらすことになるぞ)」と表明しました。

 

証券取引所のトップがそこまでの姿勢をとり、支持されるというのは、相当過激なことです。内閣府が山道氏が度を超えているというメッセージを漏らさなかった訳ではないですが、彼はおおむね支持され、誰も彼を引き留めませんでした。そのおかげで、特に我々はエンゲージメント指向で、企業の自己改善の道のりを支援する投資プログラムの構築に長い間取り組んで来た投資家として、東証の要請によって、実際に仕事がとても楽になりました。外国投資家だけが企業に乗り込んでバランスシートについて様々な要求を突きつけるのではなく、今では東証の責任者が、資本コストがわからないなら、調べて確認してくださいと言うようになったのです。

 

「したくないなら、それも結構、上場廃止していいですよ。何より日本で上場するということは非常に名誉なことですからね」と。この挑発に対して間違いなく企業から反応がありました。投資家も反応しました。投資家はこの東証の圧力を非常に前向きに受け止めました。

 

率直に言って、2023年の市場について目ぼしい動きと言えるほどのものは――そうですね、2つありました。半導体相場と、その後大きな勝負になった低PBR株です。どの銘柄も概してアウトパフォームしたと言うべきでしょう。しかし、私たちが今日本で見ているかなり驚くべき側面は、投下資本利益率を向上させるために企業を本気で懐柔しようと、国家によって調整されたスポンサーシップです。ここまでトップダウンで圧力をかけた取り組みは、歴史上、ほとんどありません。

 

レフコヴィッツ:それは魅力的ですね。PBR1倍を下回る水準で取引されている企業の数は大幅に減少しましたか?資本配分の観点からどのように見ておられるか、企業が利益を配当、自社株買い、再投資にどのように使っているのかにも興味があります。

 

ヴァイン:昨年私たちが見てきた変化は、1年前に始まったものではないと言えます。先ほども述べたように、2011年~2012年頃、安倍晋三氏が首相となり、「社会の在り方が変わります」と言ったときに変化は始まりました。10年以上にわたって配当や利益は成長し、過去10年間の日本における複利収益の伸びは約8%、9%でした。ゼロ成長だった経済にとって、非常に印象的な変化です。

 

これは米国のようにテクノロジーセクターから特別な恩恵を受けた訳でもありません。非常に目覚ましい、非常に広範なセクターにわたる利益成長なのです。配当金もさらに増加しました。したがって、配当を複利化してみれば、10年以上にわたって日本ではほぼ12%程度になっています。日本の配当性向は依然としてかなり低く約40%なので、さらなる増配の余地は十分にあります。私が覚えている限り、毎年、自社株買いは継続的に増加してきました。日本はより効率的な資本配分について、真剣に慎重に取り組み始めています。

 

けれど、その話はもう古いでしょう。日本株の話に関しては、もううんざりしている人もいるかもしれません。日本の構造改革を求める声を20年間聞いてきたと。確かにずいぶん長いので、私もある程度共感します。しかし、現在目の当たりにしているような変化は20年間起きませんでした。古い話だから無視していいという訳ではないのです。

 

事実は何かとても大きなことが起こっていることを裏付けています。今、バランスシート改革の新たな章に入りつつあると思われます。それはまだ限界に達する前の段階で、今後も数回の自社株買いが行われ、配当性向が少しずつ引き上げられるでしょう。「実は、配当性向を30%から80%にします。それが適切ですから」という企業の例も出てきているようです。段階的な変化はあまり見られなくなり、前年から少しだけ変えるのではなく、第一原理思考、つまりシンプル戦略に基づいて根本にメスを入れた変化が見られるようになっています。したがって、さらに劇的な変化も見られるでしょう。

 

また、コーポレートファイナンスにおけるベストオーナーという概念も出てきました。例えば、私がオーナーで5つの部門を抱えているとして、2部門については自分たちが最高のオーナーであると思えても、他の3部門については別の会社の一部であったほうがより競争力が高くなるかもれない。シンプルな概念ですが、日本の取締役会の考え方には真に浸透することはありませんでした。

 

それが完全に変わりました。我々が今話をしている日本企業の大半は多角化がかなり進んでおり、複数の事業分野に手を広げています。そこに課題があることをどの企業も意識しています。実際に、世界的な競争力があるいくつかの事業に専念し、そうでない事業については、受け入れ先となる企業を探している企業もあります。このように企業が再度最適化されることで、日本中に莫大な企業価値が放出されています。これは一夜にして叶う訳ではなく、何年かかけての潮流になるでしょう。

 

べンツ:お伺いしたいもう一つの言い古されたテーマがコーポレートガバナンスです。歴史的に、日本のコーポレートガバナンスについては評判が悪かったので。株式持ち合い、ポイズンピル、独立取締役の不足などについてよく聞きます。この点に関しては改善が見られますか?

 

ヴァイン:実際、大幅な改善がありました。話はアベノミクスのいわゆる第三の矢の改革に戻ります。思うに、重要な歴史からの教訓となるのが2000年代初頭で、プライベートエクイティ(PE)が日本に上陸し始め、敵対的買収がいくつか見られるようになった頃です。すでに述べましたが、日本に隠れた価値があるのは今に始まったことではないのです。PEの来襲は70年代、80年代米国のチェーンソー・アル(過激なリストラを行って企業を再建した)が幅を利かせるようなものです。2000年代初頭に本当にそうなりかけましたが、政府が止めました。

 

注目を集めた事件もいくつかあります。現在では大物なので名前は伏せますが、2003年から2005年、日本は西部開拓時代のような無法地帯になり始めていたため、脱法行為のせいで刑務所に送られた人もいます。制御不能に陥っていました。巨大な不当廉売を利用しようとする所謂ハゲタカが現れました。実に刺激的な時代でしたが、政府はノーと言いました。公平な方法で実現するための法的枠組みが整っていなかったので、政府が禁じたのは正しいことでした。

 

「日本は、ロシアのようにはならない」と、態度で示しました。4人程度で運営するPEファンドに資産をすべて保有させるようなことはしない、と参入に対して日本は扉を閉ざしました。その後2011年から2012年にかけて安倍首相が登場して、「それでよかった」と言ったのです。野蛮な参入者は門の外で待たせる必要がありますが、そのための仕組みも必要です。

 

さあ、それからです。その後10年間に何が起きたかというと、まず、伊藤レポートです。これは、日本のコーポレートガバナンスと世界のベストプラクティスを一度整理しようというものでした。私の同僚の一人が共著者として名を連ねています。コーポレートガバナンス・コードも、続いてスチュワードシップ・コードが適用され、いずれも改訂を重ねています。議決権を持つ投資家の声が実際に企業に届くよう、強固な枠組みと実践、企業統治における抑制と均衡を確保するために、議決権行使ガイドラインが導入されました。その後、公正なM&Aガイドラインも策定されました。かくして過去10年間に企業の運営における制度的・法的枠組みに、一連の重要な変化が起こりました。

 

多分歴史についてはもう十分ですね。そうでしたらすみませんが、これで単にすべての企業がコーポレートガバナンスを重視するようになったということに留まらないでしょう。これは枠組みの意図的な変更なのです。経済界に突如現れて、「皆さん、別の方法で資本を割り当ててください」と言うだけでは効果がありません。

 

ルールが、インセンティブが、アメとムチが必要です。ですから、それらが適切に導入されるまでに時間はかかりましたが、徐々に改善されてきました。今全体を確認すれば、日本のコーポレートガバナンスは良好だと思います。世界のベストプラクティスと比較しても、引けを取りません。

 

まだ整理が必要な領域があるかといえば、確かにあります。ガバナンスの改善に対して足を引っ張っている企業が多少あることに疑いの余地はないですが、非常に多くの改善もありました。今では、大層興味深い、まことに革新的なことを行っている企業に幾度となく遭遇します。これらの変化がどこからもたらされるのか?ここで強調したいのは、取締役会の独立取締役によって推進されていることです。きちんと機能しています。一部の人々が期待するほど早くはないかもしれませんが、その時差は株式市場と実体経済との時間感覚の違いだと思います。