Morningstar インタビュー マーク・フリードマン氏が語る「アンコール・キャリア」(前編)

~職場における年齢の多様性がもたらす恩恵、

人生の後半に生きがいのある仕事に就くことの重要性、

中年期の労働者が「ギャップイヤー」を考慮しなければならない理由~

 

 

ゲスト:マーク・フリードマン氏 Encore.org CEO 創立者

聴き手:クリスティン・べンツ Morningstar, パーソナル・ファイナンス/リタイアメント・プランニング・ディレクター

エイミ-・アーノット Morningstar Research Services, ポートフォリオ・ストラテジスト

 

クリスティン・ベンツ: 今日の「The Long View」にお迎えするゲストは、作家であり企業家でもあるマーク・フリードマンさんです。フリードマンさんは人生の後半に生きがいのある仕事を求める人々を支援する「Encore.org」の創立者であり、社長兼CEOで、『How to Live Forever: The Enduring Power of Connecting the Generations(永遠に生きるには:世代をつなぐ永続的な力)』の著者でもあります。また、米国22都市で50歳以上の人々が、低所得層の小学生の学業成績を向上させ将来の可能性を広げることに取り組む「Experience Corps」を共同設立しました。

 

 

フリードマンさんは、「Encore Fellowships」プログラム創設の陣頭指揮も執りました。このプログラムは、熟年期の個人が、蓄積したスキルを社会にインパクトを与えることに焦点を当て、人生の第二幕に活かすための1年間のフェローシップです。「Purpose Prize」は、人生後半期にある社会起業家を対象に毎年10万㌦を授与する賞です。フリードマンさんはスワースモア大学で学士号を取得され、イェール大学経営大学院でMBAを取得されています。フリードマンさん、「The Long View」へようこそ。

 

 

米国の退職の変遷と社会保障制度

 

 

ベンツ:米国における退職の変遷と高齢期を変革する上で社会保障制度が果たした極めて重要な役割について、あるプレゼンテーションであなたが論じておられるのをうかがいました。高齢化がどのように進展し、高齢化に対する私たちの考え方が長年にわたってどのように変わってきたかについてお話しして頂けますか。というのは、これらは非常に示唆に富む歴史の教訓だと思うからです。

 

 

マーク・フリードマン氏(以下敬称略、フリードマン):米国の社会保障法は1935年に制定されましたが、その主な目的は高齢者の経済的安定を図ることでした。これは、米国史上、最も偉大な政策の勝利のひとつであったと私は考えています。しかしその背景には、若者の失業率が非常に高かった時代に、高齢者を離職させるためのインセンティブを与えるという意図がありました。社会不安が現実のものになる懸念があったからです。その時点では、人々が社会保障の「小切手」を受け取りながら過ごす時間はさほど長くはないと予想されました。実際、この法律を成立させた若い「ニューディーラー」(ニューディール政策の推進者)たちは、オットー・フォン・ビスマルクが制定した19世紀後半のプロイセンの軍人年金をもとに年金支払い開始年齢を65歳と定め、自分たちは年金を1円も支払わずに済むだろうと確信していました。

 

 

こうして社会保障法は1935年に成立し、1941年、アイダ・メイ・フラーというバーモント州ラドローの簿記係の女性が退職し、最初の社会保障受給者となりました。しかし驚いたことに、彼女はなんと100歳まで生きました。ビートルズが米国に来るのを見ましたし、アポロ11号が月面に着陸する瞬間も見ました。そしておそらく彼女は米国史上最高金額の宝くじ当選者の一人でもあったと言えます。なぜなら、本当にわずかな掛け金を支払っただけで、何万ドルもの年金を受け取ったと思われるからです。

 

 

ある意味で、「長寿革命」がやってくる予兆は、人々がこれほど長生きするようになる前からすでにありました。つまり、65歳以降は、人生のご褒美としての数年の安息期間をはるかに超えて、人生の独立したひとつの「章」となる可能性があると考えられていたのです。

 

 

アーノット: そのことは、次の質問へ移るための恰好のお話だと思います。米国のような豊かな先進国で人口動態の津波のように深刻な高齢化が進んでいることは、誰もが耳にしたことがあるでしょう。必要とされる若い労働力は圧倒的に不足しており、その若い労働者が多数の年輩労働者を支えています。例えば2030年代までに、米国では65歳以上の人口が18歳未満の人口を上回ると予想されています。では、このような傾向についてどのようにお考えですか、また、あなたが考える重要な影響はどのようなものでしょうか。

 

 

フリードマン:社会保障制度の話に戻りますが、私たちはあまりにも長い間「人生70年」という考え方に縛られて、今のような超長寿社会を想定していなかったのだと思います。2000年以降に先進国で生まれた子どもの半数は100歳の誕生日を迎えると予想されています。ですから、人生の最初の20年ほどですべての教育を終え、次の20年から30年間を仕事に没頭すれば、その後半世紀におよぶほどに伸びた残りの人生を働くことなく謳歌するお金が手に入るという考え方は、ほとんどの人には通用しないでしょう。ご指摘の通り、少数の若い人たちが他の年配の人たち全員を支えようとする社会などありえないということも明らかです。

 

 

ここで、私にとっては驚きであり学びのあった、ここ数年に起きたいくつかのことについてお話ししましょう。私たちが「長寿革命」、つまり人生100年時代に注目するのは自然なことだと思います。高齢者数の増加について理解することも重要です。しかし、私がよく理解できていなかったと思うのは、実際に起きている大きな現象は「年齢の多様化」だということです。

 

 

誕生から74歳までの人口のグラフは、100年前はスキー場の斜面のような下り坂の直線でした。今、同様のグラフを見ると人口は12歳も61歳も37歳も同じです。0歳から74歳まで、どの年齢においても生きている人の数はおおむね同じです。そして、裾野がさらに高齢に向かって広がっているのです。しかも、人口の4分の1は20歳未満で、4分の1は60歳を超えています。もしもあなたが25歳あるいは55歳だとすると、自分より年下の若年層か、あるいは年上の高齢者層に社会の大きな部分を占める年齢集団があり、その2つのグループの人数はほぼ同じであると気がつくでしょう。ですから、複数の年代層が共存する現在、そして多様な世代が共生する未来における課題のひとつは、人生の異なる段階にある、年齢の異なる人たちと、いかにして協力しあっていくかを学ぶことだと思います。

 

 

世代間アパルトヘイトから年齢多様性の復活へ

 

 

ベンツ: フリードマンさん、あなたは職場における年齢の多様性の熱心な支持者であると伺ってます。若い人は年上の人から学ぶことができるし、その逆もまたしかり。なぜ実際に年齢の多様性がそれほど健全な職場づくりに必要なのか、また、職場において年齢の多様性を高めるために私たちができることについて、お考えをお聞かせください。

 

 

フリードマン:年長者と若年者の能力、ニーズ、資産は、ジグソーパズルのピースのように本当にうまくかみ合うと思います。そして、21世紀に私たちが直面している課題に、可能な限り生産性を高めて向き合うには、それらすべてのスキルが必要なのです。両者の補完性を示す例として私が素晴らしいと思うのは、、BMWが数年前に3つの組み立てラインについて行った実証研究です。3つのラインとは、高齢の労働者が作業するライン、若い労働者のライン、その混合つまり年齢が多様化されたラインです。年齢差別を象徴しているような高齢労働者ラインは作業にミスは少ないが遅く、一方で若い労働者のラインは作業は速いけれどミスが発生しやすい。最も期待に応えたのは混合ラインで、作業が早くて比較的ミスが少なく、よい生産性を示しました。この結果は、年齢の多様性を尊重すると何ができるかということを暗示していると思います。

 

 

アーサー・C・ブルックス氏は『From Strength to Strength : Finding Success, Happiness, and Deep Purpose in the Second Half of Life』(※)の著者です。彼は「アメリカン・エンタープライズ研究所」の元所長で、現在はハーバード大学のケネディ・スクールで教えています。この本は2022年に出版されたのですが、彼はその中で、若年労働者は流動性知能が特に高く、高齢労働者は結晶性知性が高いとしています。しかし、私は、高齢者がもたらす結晶性知性(パターンを理解し、先を見通す能力)は、スピードをはじめ、若い労働者が持つ複数の資産を補完する役割を果たすと考えています。そして、ブルックス氏は、私も彼に同意しますが、この両方のグループの共存なしでは職場は成り立たないと強く主張しています。

  • 『人生後半の戦略書:ハーバード大教授が教える人生とキャリアを再構築する方法』(SBクリエイティブ/翻訳 木村千里)

 

 

アーノット: あなたは、世代間のアパルトヘイト(隔離)と呼ばれるものについても書かれていますね。それが何を意味するのか、またなぜこれほど定着し、これほど有害なのか、少し詳しく話していただけますか?

 

 

フリードマン: その話題を取り上げて頂いて本当に光栄です。私はこの考えに取り憑かれています。事実、私は今、新しい本の構想を練っているところですが、そのタイトルは『End Age Apartheid(世代間アパルトヘイトの終焉)』といったものになる予定です。その背景を説明すると、米国は、世界で最も世代が統合されている社会の一つとして20世紀の始まりを迎え、最も世代が分離されている社会の一つとして20世紀を終えました。19世紀には、人々は年齢をまったく意識していませんでした。人々は自分が何歳なのかさえ知りませんでした。誕生日を祝うこともなく、あらゆる制度、日常生活のあらゆる場面で、世代が統合されていました。私たちは農業経済の中で生きていました。農場では若い人も年配の人も肩を並べて働いていました。アメリカではほぼすべての家庭で多世代が共に暮らしていました。昔の学校には教室は一つしかなく、そこでは4歳の子供と40歳の大人が並んで文字を学んでいました。

 

 

ところが20世紀のはじめの数十年で、私たちはすべてを変えることにしました。年齢別に社会を再編すれば、より効率的になるだろうと考えたのです。そしてしばしば、それは政策主導の大きな飛躍となりました。児童労働に関する法律が制定され、国民皆学を目指す中で、若者たちは一緒に学校に通うようになりました。社会保障制度は、すでに話したように、失業者が多い時期に高齢者を労働力から排除するという意図通りの効果を上げました。そして私たちは創造力を発揮して、高齢者が同年代の仲間と集うシニアセンター、老人ホーム、退職者向けコミュニティ、生涯学習プログラムなどを次々と生み出しました。

 

 

その結果、異なる2つの世代、老若の間に交流はなくなりました。確かに効率的でした。しかし最終的には、私たちは危機的な状況に追い込まれていくでしょう。人々が「はい、はい、分かったよ団塊世代」「ミレニアル世代は、そんなものだ」などと言い合う世代間のアパルトヘイト状態にある現在の社会で、、世代間の対立や孤立と孤独がまん延していることは、驚くにはあたりません。高齢者差別は社会にはびこっています。私は、このような社会の組織化のあり方、つまり世代間のアパルトヘイト(隔絶)状態は、前世紀には機能しなかったと思います。そして、人類史上最も年齢が多様化している社会である今日のアメリカにとって、まったくふさわしくないのは明らかです。

 

 

ベンツ: あなたは、1970年代の「Gray Panthers」の活動や、1956年に後に大統領となるジョン・F・ケネディ氏が高齢者の潜在的能力の活用を呼び掛けた話など、高齢者を社会に統合するための初期の取り組みについて書かれていますね。では、そうした取り組みは、何故立ち消えになってしまったのでしょうか?

 

 

フリードマン: 彼らは時代の先を行きすぎていたのでしょう。しかし、高齢者が社会に可能な限り貢献するために、社会のあらゆる場面に参画するというこの考え方が、単に近年ぽっと出た発想ではないということを私は心強く思います。人々は長い間そう言い続けてきました。ジョン・F・ケネディ氏は、「我々は、人生を何年も伸ばした。今はこの長寿で得た年月に命を吹き込む時である」と語っています。また、私の個人的な英雄である(Gray Panthersの創立者)マギー・クーン氏は、高齢者について、「無駄にしていい人は一人もいない」と言いました。

 

 

高齢世代はただ数が増加しているだけではなく、間違いなくアメリカで唯一増え続けている社会的な資源です。我々は、この国で最も経験豊富な人々を無駄にする余裕はありません。このような考え方には長い歴史がありますが、新たな人口動態や寿命の延び、健康寿命も伸長している現在、こうした考えが最前線に浮上し、無視し得ないものとなっています。

 

 

生きがいや社会とのつながりを見出すには

 

 

アーノット: ここまで、全体的な人口動態や、社会全体で異なる世代がより多くの交流とつながりをもって共に働くことの必要性についてお話しを伺ってきました。そこで、より長く働くことが経済的な面や生活の質の面でどのように人々の助けになるのか、少しお話ししていただけますか?

 

 

フリードマン: ご指摘の通り、経済的な側面は非常に重要です。私は昨年65歳になりましたが、我が家にはまだ8年生、10年生、12年生の子供がいます。ですから、私は近い将来の退職をまったく考えていません。しかし、長く働くことには、経済的な安定という生存に必要不可欠な理由と同等に重要な、別の理由がいくつかあります。その多くは、生きる意味や、朝起きる理由、仕事がもたらす社会とのつながりや人との絆に関係しています。

 

 

フロイトは、人生において最も大切なのは愛することと働くことだと言いました。これはつまり、朝起きる理由と社会との絆です。私たちは10年ほど前に、退職者対して「仕事をやめて最も恋しく思うことは何か?」と尋ねる調査を行いました。その解答で人々は、朝目覚ましを止める必要がないのはかまわないけれど、生産的な関係、要するに何か重要なことを成し遂げるために他の人々と共に働くという考えが無いことに寂しさを覚えると言っています。私は、経済的な必要性とともに、これらの社会的な面での必要性、ある意味では精神面での必要性も仕事が解決してくれると考えています。

 

 

ベンツ: それでも、人々の長く働きたいという願望と、それを実現する能力との間には乖離があるようです。データによると、多くの人が65歳、あるいは70歳を過ぎても働きたいと言っています。しかし、総じて人々は自分が考えていたよりも早く引退する傾向があります。このような逆風、実際には残念なことに退職の時期を自分で完全にコントロールできないという状況についてお話ししていただけますか?

 

 

フリードマン: そうですね、それは退職が近づいて、それまでずっと続けてきた仕事をやめようとしている人たちを、何らかの形で支えることの重要性を浮き彫りにしています。しかし、引退しない人もたくさんいるし、引退しない計画を立てている人もたくさんいます。問題は、それを実行するのがとても難しいということです。というのも、当事者自身がすべて自分で解決しなければならないからです。いろいろな理由、例えば介護のために、あるいは本当の意味で必要な休息を取るために、離職せざるを得ない人がたくさんいます。しかし、だからといって永久に引退するわけでありません。多くの場合、ある人は職場に戻る必要があり、またある人は戻りたいと思っています。問題は我々がそれを難しくしてしまったことです。すべてを個人に背負わせて、彼らの努力と勇気ある行動だけに任せているからです。ふさわしい表現が見つからないのですが、人々が必要に応じて人生の後半に仕事をしたりやめたりできるように支援する社会的な環境整備がもっと必要だと思います。

 

 

この面では、着実な進展がみえ始めています。ハーバード大学の「Advanced Leadership Initiative」から始まり、ノートルダム大学、スタンフォード大学、シカゴ大学、テキサス大学へと高等教育のプログラムが広がっています。私はこれらのプログラムの一つの立ち上げにイェール大学で携わってきました。これらのプログラムは基本的に、人生の後半を生きるための学校であり、人々はそこで1年かけて自分の目的を再発見し、その過程で人生の休息をとることができます。

 

 

私たちの組織は、15年前にフェローシップ・プログラムを創設しました。職場で経験を積んだものの、違う方向に進みたいと考えている人たちのための1年間のインターンシップです。この「アンコール・フェローシップ・プログラム」では、新しい役割に挑戦することができます。「アンコール・フェローシップ・プログラム」のようなインターンシップや教育プログラムは、青年期から大人になろうとする若者たちに対して日常的に行われている教育と、いろいろな点で良く似ています。学校とインターンシップで行われるプログラムによって経験したことから多くを学び、人生の後半期に適応するために活かすことができるのです。

 

 

アーノット: 中年期のどこかで「ギャップイヤー」(社会活動や経験を得るための猶予期間)を取りたい人、じっくり考える時間が欲しい人、いろいろなことに挑戦したい人のために、もっと多くの素材やプログラムが用意されているようですね。しかし、大学入学前や社会人になる前に「ギャップイヤー」を取る人に比べれば、それはまだ一般的ではないでしょう。人生の半ばで猶予期間を取ることに対する障壁は何だと思いますか?

 

 

フリードマン: 文化的なものがあると思います。そのまま働き続けるか退職するか、どちらかを選択することを迫られているようなものです。しかし、人生が長くなる中で一旦休息するという考えはとても魅力的だと思います。それでも、多くの人はそれを当然のことだとは思わないでしょう。しかし我々は、若い人たちについて経験したことから学ぶことができると思います。繰り返しになりますが、今起きている大きな進歩を一歩下がって注意深く見れば、100年前の「青年期」の発見によく似ている状況です。当時、子供とも大人とも言えない若者が急増し、大人は彼らをどう扱えばいいのかわかりませんでした。そこで彼らを「ティーン・エイジャー」だと定めて、学校や青年組織などを発明しました。中年期の終わりから本当の退職時期が近づくまで、あるいは老齢になるまでの間に、まだ名づけられていない人生の新たな段階を発見し、我々はそれを目の当たりにしているのです。

 

ヒトの寿命が延びて、その長さに見合う新たな人生の地図が描かれるようになってきたのでしょう。中年期と老年期の間に、何か未知の領域があります。ある人はそれを「ミドレッセンス(熟年)」と呼びます。またある人――たとえば私が敬愛する義理の母に訊いたところ、自分は「終末期まであと一歩」のところにいるという答えが返ってきました。彼女は人生のこの時期をそうとらえています。

 

 

しかし、この「無名の段階」が姿を顕しつつあります「アメリカ心理学会」の創設者であり、アメリカで最初の心理学博士号を取得したグランヴィル・スタンレー・ホール氏は、1904年、1906年に「青年期(Adolescence)」や「若者(Youth)」についての著書を発表しました。そして大層興味深いことに、その20年後に彼は「私は大きな過ちを犯した。(「青年期」ではなく)中年期と老年期の間にある、人生の新しい段階を発見すべきだった」と言ったのです(※)。

※同氏には1「Senescence, the Last Half of Life」(1922年)という著書もあり、ジェロントロジー的な視点の先取りとも評されます。一方で優生学的な見地を主張し多くの優生学者を指導したり、当時としては珍しくはありませんがレイシズムに基づく論文も発表しています。

 

 

人生後期ならではの長所とは何かというエイミーの質問への答えになりますが、ホール氏は「人間は、人生に陰りが見えるまで生涯最大の能力を発揮することはできない」と言いました。つまり中年期以降になると、それ以前とは別の視点が持てるようになるということです。人生は永遠に続くわけではありません。しかしその事実を実感することで、集中力を高め、人生の目的を意識できるのです。同時に培ってきた洞察力を使って何かをするのに、まだ十分な時間が残されています。それは人生において特別な期間なのです。命名はされていませんが、何千万人もの人々が、この独自の視点と膨大な経験をもってこの期間になだれこんでいます。社会は、その思いがけない恩恵にあずかる好機を得ようとしているのです。

 

 

アンコール・キャリアは自分のためだけではない

 

 

ベンツ: 「アンコール・キャリア」という考え方について教えてください。あなたは、人々が自分自身を再び創造し、それまでのキャリアを土台にして、人生の後半に意義のある仕事をする「アンコール・キャリア」という考えの先駆者であり、考案者ですね。あなたが「アンコール・キャリア」をどのように定義しているのか、また、晩年に近づく人々が自身の「アンコール・キャリア」ついてどのように考えているのか教えてください。

 

 

フリードマン: 私たちは、ジミー・カーター元大統領に代表されるように、情熱と目的が交差する人生の第2幕を開けた多くの著名人から刺激を受けました。人生の第2幕は彼らの中年期の仕事ほど長くは続かなかったかもしれませんが、人生への貢献は何であったかと考えると、同じだけの重みがあり、同じだけの意義があります。私たちはそのことを称え、「アンコール・キャリア」という考え方にたどり着きました。これを広めるために私たちが使った言葉が『より大きな善のための人生の第二幕』です。人生の第二幕ではジミー・カーター氏だけでなく多くの人々がそれまでに積み上げた経験を、他の人々の生活の質を向上させることに焦点を当てた課題に取り組み、応用するために行動しています。私たちは、「アンコール・キャリア」は元大統領や億万長者だけのものではない、ということを広く知ってもらいたかったのです。

 

 

我々は、自身が最も重要だと思う仕事に取り組んでいる60歳以上の人に毎年(合計で)50万㌦を授与する「Purpose Prize」を創設しました。はじめは、そのような賞にふさわしい人が集まるのだろうか、ジミー・カーター氏や限られた人だけなのではないかと私たちは懸念しました。しかし、すぐに心強いニュースが飛び込んできました。最初の年には、この5つの賞に1200人が推薦されたのです。その後10年かけて、最も重要な仕事をしている高齢の候補者は1万人に達しました。

 

 

この取り組みから見えてきた教訓のひとつは、「アンコール・キャリア」がまったく新しい種類の仕事であることは非常に稀だということです。退職後の成功というと私たちは、銀行員だった人がブドウ園やB&B(Bed & Breakfast)を開き、何もかもが魔法のように上手くいって、太陽は輝き、汗をかくこともないというイメージを持ちがちです。しかし実際には、この賞を受賞した人や何千もの候補者のほとんどは、中年期に行っていたことを土台にして社会に有意義な活動を地道に積み上げてきた人々でした。

 

 

一例を挙げると、ゲーリー・マックスワージー氏は、若い頃に発展途上国の教育や農業を援助する「平和部隊」に入りたかったのですが、家庭があり、叶いませんでした。彼の妻は彼が60代のときにガンで亡くなりました。彼は人生の新たな章を立ち上げようと決心しました。中年期に食品流通事業に携わった彼は、フードバンクは加工食品や缶詰しか配給していないことを知っていましたが、数十年にわたる食品流通の仕事の経験から、「見た目が悪い」という理由だけで農場や生産者が生鮮食品を大量に廃棄していることを知っていました。そこで彼は「Farm to Family」というプログラムを立ち上げ、農家や生産者とフードバンクをつなぐ流通網を構築しました。これは、経験と革新がどのように連携できるかを示す例です。

 

 

「アンコール・キャリア」についてのあなたの最初の質問ですが、私たちが発見したのは、その時点で500万人の米国人がすでに「アンコール・キャリア」を実践しており、さらに2100万人がその道を歩むことを最優先事項としていた、ということでした。彼らは皆、「アンコール・キャリア」の期間は10年程度とみていると答えました。もし次のキャリアに進むことが容易になれば、2500万人が10年間、つまり2億5000万年分の潜在的な人的・社会的資本が生み出されることになります。

 

 

アーノット: 「アンコール・キャリア」とは本来、より広範な目的で自分の強みを生かして他の人々を助けるものとお考えですか?それとも、それまでの社会人生活で力を注いできたこととはまったく違うことをやりたいという人の例もあるのでしょうか?

 

 

フリードマン: その通りです。より広い範囲の現象だと思います。私たちは、教育や地域社会、環境といったものを改善するために、使われていない人的資本や社会を活用することに注力している非営利団体です。ですから、私たちは「アンコール・キャリア」の定義の軸足を『より大きな善のための人生の第2章』に移しました。私たちが定義した方法以外にも、人々ができることはたくさんあるし、人生の早い時期と同じか、それ以上に充実した章に移行することもできます。ですから、50代や60代になったら、最盛期を過ぎたのだ、最高の仕事は過去のものだ、という考え方は、人々の健康寿命が短かった時代に生まれた迷信だと思います。

 

 

一例を挙げると、経済学者のデヴィッド・ガレンソン氏(シカゴ大学)は、創造性と天才について、さまざまな年齢の画家が描いた絵画の価値について研究しました。彼が発見したのは、創造性と天才には2つの大きな開花時期の山があるということです。若い時期の山にはモーツァルトのように楽想が頭から溢れ出る早咲きの天才が居ることは想像しやすいでしょう。一方遅い時期の山には、さまざまな方法を試すことで成長する人がいて、それが完全に顕在化するには長い時間がかかることがわかりました。このように経験を重ねて成功するタイプを「実験家肌の天才」とガレンソン氏は名付けました。ガレンソン氏は、私たちは往々にしてこの第2の天才を早咲きの天才ほど評価してないが、実は早咲きの天才の創造性と同じくらい大きな才能の宝庫であると主張しています。ですから、私たちは人々の能力や貢献力、創造性に対して偏った見方をしているのだと思います。そして私たちは、「Purpose Prize」を通じて、実際に多くの人々が人生で2度目のチャンスを手にし、夢にも実現できるとは思わなかったような成果を上げることで、この並外れた創造性を発揮することを目の当たりにしたのです。

 

(後編につづく)◇(翻訳:モーニングスター・ジャパン 白石育子)

 

 

  • 本稿はMorningstarのThe Long View 「The Case for Encore Careers」をモーニングスター・ジャパンが翻訳したものです。参考リンクおよび動画へのリンク付きの英文は下記よりご覧いただけます。原文と翻訳に相違がある場合は、原文が優先されます。https://www.morningstar.com/personal-finance/marc-freedman-case-encore-careers 
 
 
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